キリン電波書簡

一方通行の手紙です

十八通目

前略
 ご無沙汰をしております。二年近くぶりのお手紙となります。便りがないのはどうのと申し上げることも憚られる様子でありますが、皆様お変わりありませんか。

 私は相変わらず底辺を這いずるような生き方というか生かさず殺さずというか、そういう風です。

 このまま電子の海の中、ひっそりと沈めて弔ってしまうのもやぶさかではないのですが、この度私念願のChromebookを手に入れまして、いつでもどこでも気軽に文字を入力できる環境と相成りました。いや、実際にはWi-Fiがないとアップロードまではできないのですが。スマホを持ってないと社会人失格とまで言われかねない世の中なので、本当の意味ではいくらでも「いつでもどこでも」状態ではありましたが、やはり物理キーボードに勝るものはありませんね。リモートワークが叫ばれる中、思いもよらぬPCの復権です。返り咲きです。物理キーボードみんな好きでしょう?
 そんなわけでもしかしたらこの先更新を再開するかもしれません。しないかもしれません。

 

 私がまた何かを書きたい、残しておきたいと思ったのにはもう一つきっかけがあります。 

 先日身内に不幸がありました。それが本当に今後の自分の生き方を問われているような、そういう重苦しい体験となったのです。
 そもそも身内と言ってもさほど交流があるわけでもなく、年に数回ちょっと言葉を交わすくらいの、その程度の関わりでした。ちょっと偏屈で皮肉屋で、でも憎めない、そういう人。機械系が得意で、落語が好きで、とかそのくらいの情報しか知らないし、それ以上の物があるとは考えもしませんでした。

 亡くなったのは本当に急なことでした。もし何かあった時には なんて考えもしなかったくらい。そんな中で遺品整理を手伝う事になったのですが、あれは本当に居た堪れない。本当に故人のパーソナルな所に踏み入らざるを得ないのです。

 私はその人の部屋に初めて入りました。初めてクローゼットを開け、机の引き出しを覗きました。

 こんなにも、こんなにも、こんなにもこの人のことを知らなかったのかと。私は打ち拉がれたのです。埃を被ったポラロイドカメラ。仕舞い込まれたギター。最近買ったであろう本。

 そして、日記。日記があったのです。毎日一ページ。一日も欠かすことなく几帳面に。そこには、私の知らないあの人がいました。とても静かで、淡々とした日々の情景が並んでいました。私はどうしても日記というと「自分が感じた気持ち」を重点的に書いてしまうのですが、そうではなくて自分が何をしてきたかを残す形式の日記でした。何をした、何が起きた、何を買った、何を食べた、誰が来た、天気がどうだった、どんなニュースがあった。そういうことが、実にきれいで礼儀正しい言葉で残されていました。落語の影響で江戸っ子みたいな喋り方をするくせに。
 長い事ずっと残してきたようで、ダンボールの中にも山程ありました。

 最後のページには、明日は気持ち良く晴れるだろうと書いてありました。
 天気はその通りだったけれど、あの人はそれを確かめることはありませんでした。

 

 あまり共通項もなく、何を話したらいいか分からないことが多かったけれども、もしかしたらもっと沢山話せる事があったんじゃないだろうか。私はどんなふうに切り出せばあの人のそんな一面を引き出せたのだろう。あんなに素敵な文章が書けるのならば、手紙の一つも書けば良かったか。そんなことをずっと考えていました。
 死んだ人間に対して「もっとああしてあげれば良かった」と言う事が嫌いなのですけど、それでもどうにも言ってしまいたくなる心境です。

 結局その後のあれこれのせいでそんな感傷に浸る余裕もなく日常に引き戻される事になりましたが、兎にも角にもいつどうなってしまうか分からないので、自分も何かを残しておかなければと思い立ったのです。使命感とはとても言えない、焦りのようなみっともない未練のような、そういう具合なのでした。

 私は生きています。

 

 草々不一